はじめまして。
心理カウンセリング『心の雨の相談室』カウンセラー、雨音(あまね)きよです。
心理学、脳科学、認知行動療法をベースにしたカウンセリング法、心理ワークなどを学び、100件以上のカウンセリング経験があります。

私自身もかつては、完璧主義で自己肯定感が低く、孤独と不安を抱えていました。
親から否定され続け、アダルトチルドレンの特徴を持っており、若い頃は恋愛依存にも悩まされました。
そして結婚後はカサンドラ症候群に…
やがて娘が適応障害と診断されて「自分が毒親のような言動をしていた」と気づき、ようやくこの連鎖を断ち切ろうと決意しました。
本当の意味で「自分を大切にする感覚」を取り戻した今、同じように苦しむ方のサポートをしています。
カウンセリングを受けた人が心を軽くし、優しい気持ちになり、
さらにその優しさが周りへと広がっていく——
そんな 「優しさが循環する世の中」 をつくることが、私のビジョンです。
あなたも生きづらさから解放され、安心と自信に満ちた幸せな人生を歩みませんか?
わたしがどのように原因不明の生きづらさを克服したのか、さらに詳しく書きました。
ご覧になりたい方は、このまま読み進めてくださいね。
【さらに詳しいプロフィール】
わたしは弟と2人きょうだいの長女として生まれました。
母は自分の意見がなく、
父に100%逆らえず、わたしに対しては
否定的な言葉が多い人でした。
父は今でいうモラハラ気質。
わたしが幼い頃から、ことあるごとにイライラして
怒っていたので、家族全員いつも父の顔色をうかがっていました。
大人から人格否定され続け人間不信、孤独と劣等感だらけの幼少期

幼い頃から、私は自分の意見をうまく言えず、
いつもまわりの顔色をうかがって過ごしていました。
両親はどちらも子どもの話を聞かず、
私が何かを伝えようとしても、受け止めてもらえた記憶がありません。
特に父からは、「お前はダメだ」「弱い」「頭が悪い」「情けない」といった、
人格を否定するような言葉をたびたび浴びせられていました。
もちろん褒められることもありません。
また幼少期に、父に危険な自転車の運転で振り落とされケガをしたとき「泣くな」と突き放され、母も守ってはくれませんでした。
味方のいない孤独感と「愛されない自分」という傷は、その後も心を縛り続けました。
幼稚園では先生から理不尽に叩かれ「笑わない子」「犬しか友達がいない」と記され、親からも責められる日々。
理由もわからないまま感情を削られ、人への不信感と劣等感を深く抱くようになりました。
その経験は、大人になっても人と関わることへの恐れや孤独につながっていったのです。
家にも学校にも安心できる居場所がなかった小学生時代

小学生の頃から反抗期が始まり、
泣きながら親に歯向かうことが増えました。
しかしそのたびに父から叩かれたり、
押入れに閉じ込められたりします。
家庭では常に父の機嫌を損ねないよう、ピリピリとした空気が漂っていました。
母は父のいいなりで、弟も支配的な父に逆らわず、黙っていることを選んでいたのです。
母自身も人格否定のような言葉を浴びせられて何も言い返さない姿に、
私はいら立ちを感じずにはいられませんでした。
わたしには「安心できる居場所がどこにもない」という思いが、
いつもつきまとっていました。
両親からは「弟は素直でかわいいのに、なぜこんな子に育ったのか?」
とよく言われたのを覚えています。
この頃から、
「ありのままの自分では愛されない」
という無価値感がさらに強くなっていったようです。
学校でも集団に馴染めず、友達といても孤独を感じる日々。
嫌われるのが怖くて、
うわべだけ相手に合わせるクセがついてしまいました。
容姿の悪口を言われ、人目が過剰に気になりだした中学生時代

中学生になると、毎日のように不良グループから
外見について悪口を言われるようになり容姿コンプレックスに。
でも誰にも相談できず、ただ耐える毎日でした。
この頃から、人の目を過剰に気にするようになります。
家庭は家庭で圧迫感が強く、
わたしが熱を出して学校を休んだ時でさえ「お前が弱い」と責められました。
次第に「すべて自分のせいなんだ」と思い込むようになり、
自責の念が強くなりました。
同時に「父には何を言っても無駄だ」
と感じるようになり、あきらめの気持ちも強くなっていきます。
一方で、母はわたしの思いは聞き入れず、
子どもの服装まで細かく指定する過干渉な親でした。
しかたなく母の好みの服を着て遊びに行くと、友達から馬鹿にされるので辛かったです。
わたしは家も学校も嫌いで、逃げ場がないと感じるようになっていきます。
親の方針で進学校に進むも、完璧主義で自分が嫌いになる

親の方針で、勉強も運動もできなければ責められました。
ただ「親を見返したい、誰かに認められたい」—— それだけの理由で努力し、
進学校に入学します。
この頃から完璧主義が強くなり、自分だけでなく人にも厳しい嫌な自分になっていきました。
高校では部活のキャプテンを務めましたが、部員や後輩にも厳しくなり、空回りばかり。
ここでも孤独を感じることが多く、辛い日々でした。
受験期には寝る間も惜しんで勉強しましたが、母の監視が厳しく、
少し休憩するだけで即座に責められました。
そんなある日母から、
「親戚はみんないい大学に進学しているのに、うちだけ落ちたら恥ずかしい」
と言われ、
「結局、私よりも世間体が大事なんだ」
と、深く傷ついたのを覚えています。
自己犠牲と依存心からパワハラや恋愛依存に悩んだ20代

高校卒業後は、家から離れたい一心で地方の大学に進学。
やっと自由になれたと思ったものの、次は
恋人に強く依存するようになりました。
相手への束縛が激しく、関係は長続きしませんでした。
別れた後は自暴自棄になり、次々と相手を変えては交際。
常に彼氏がいないと落ち着かず、いわゆる恋愛依存だったと思います。
たとえ雑に扱われても相手に執着し、自分を大切にできませんでした。
物への執着も激しく、
同じようなものを何個も買うなど、欠乏感に振り回されていました。
社会人になると「このくらいは我慢しなきゃ」と自己犠牲が強く働き、
なぜか毎回パワハラ上司のもとに配属。
上司は、思うように仕事が進まなければあたり構わず怒鳴り散らすので、
怒らせないように気を遣いストレスで胃が痛くなる毎日でした。
その影響もあってか、浪費癖が悪化し、買い物が止まらなくなりました。
夫の顔色をうかがい自己犠牲が加速!カサンドラ症候群に

結婚してからは、
夫が私の話を無視するようになり、いつの間にか不機嫌になることが増えました。
理由もわからない私は、いつの間にか
夫の顔色をうかがう日々を送るようになっていたのです。
夫は仕事が忙しく、
ほとんど家にいませんでした。
出産後も、子育ても家事もすべて私ひとり。
それでも
「忙しい夫に負担をかけてはいけない」と
助けを求められず、孤独と自己犠牲が深まっていきました。
やがて
「どうせ誰に相談してもムダ」
「この気持ちは誰にも理解してもらえない」
と感じるようになり、気づけばカサンドラ症候群のような状態に。
こうして1人で悩みを抱え込む日々が続いていました。
「私と同じ思いをさせない」はずの娘が…負の連鎖に絶望

「私さえ我慢すれば、家庭はうまくいく」
そう思い込み、10年以上も”良い母、良い妻”を演じ続けていました。
それなのに、夫への不満を娘にこぼし、
彼女に強く当たってしまうことが度々ありました。
そんな自分を責め、自己嫌悪におちいる日々に、時には絶望感すら覚えることも…
そんなある日、ふと気づいたのです。
「私と同じ思いをさせたくない」
と育てたはずの娘が、私の幼少期のように親の機嫌をうかがうようになっていることに。
その瞬間、がく然としました。
「このままではいけない!」
そう強く思い、娘のためにも“自分の人生を生き、負の連鎖を断ち切る”ことを決意しました。
「生きづらさを終わらせたい」自分の心と向き合い始める

「この生きづらさは、さすがに何かがおかしい」
そう思い、心理学・量子力学・脳科学・自己啓発など、あらゆる分野の学びをスタート。
カウンセリングもいくつか受けましたが、
話を聞いてもらうだけでは根本的な解決にはなりませんでした。
そこで、自分で学びを進めるうちに気づきます。
「問題を根本から解決するには、自分と向き合うしかない」 と。
そこから心を深掘りするスキルを学び、自分自身と本気で向き合いました。
幼少期に刷り込まれた価値観を手放し、感情がフラットに

学びとカウンセリングを重ねたことで、
「これまでの生きづらさは、幼少期に刷り込まれた価値観が原因だった」 と気づきます。
過去の経験を振り返ると、私は完全にアダルトチルドレンの特徴を持っていました。
しかし、不要になった価値観を手放すことで、感情がフラットになり、
自分で自分を満たせるようになりました。
その結果「誰かや何かに依存しないと満たされない、愛されない」 という気持ちが、
ほぼなくなったのです。
自分で自分を満たせて、親やパートナーとの関係性が変化

自分の心が満たされると、
両親やパートナーとも自然と適切な距離を取れるようになりました。
以前は会うだけでしんどかった両親でしたが「自分の心の敷地を守る」
ことで感情に振り回されなくなり、気持ちが楽に。
同時に、親の生い立ちや行動の背景にも理解が及ぶようになり、
ネガティブな感情が少しずつ和らいでいきました。
夫にも感謝の気持ちを伝えながら本音を打ち明けられて、関係が少しずつ変わり始めました。
今は娘の親として良好な関係を保ちつつ、
お互いの生活を大切にしながら離れて暮らしています。
※決して別居や離婚を推奨しているわけではなく、それぞれに合った
最適な向き合い方があるはずです。
不安定だった娘とも向き合えて、絆がさらに深まる

私が変わり始めた頃、娘との関係にも変化が現れました。
一時期、娘はメンタルを崩し、
精神科で適応障害と診断され不登校気味になりました。
そんな中、これまで遠慮して言えなかった思いをぶつけてきたのです。
「今まで我慢して、本音を言えなかった」
「ただ黙って話を聞いてほしかった」
以前の私なら、余裕がなく現実を受け止められなかったかもしれません。
でもそのとき、私は娘と正面から向き合い、
これまで辛い思いをさせたことを謝りました。
それから娘との絆はさらに深まり、
娘のメンタルも安定していきました。
そして驚いたことに、娘も心理学に興味を持ちはじめ、
将来は心理カウンセラーになりたいと言うようになったのです。
自分が変われば周りも変わると、強く実感した出来事でした。
「自分の経験が誰かの役に立つ」カウンセラーとして起業

もしカウンセリングを受けていなかったら、私は今も理由のわからない生きづらさや孤独を抱え、本当の気持ちを押し殺して生きていたと思います。
「もっと早く受けていればよかった」——そう心から感じています。
最初は自分のために学び始めたカウンセリングでした。
けれども、学びを深めていくうちに「これまでの経験が、きっと誰かの役に立つ」
と思うようになり、カウンセラーとして起業を決意。
クライアントとのカウンセリングを重ねる中で、
「人それぞれ、今いるステージが違う」ことに気づきます。
そこでさらに幅広いアプローチを学び、
クライアント一人ひとりの状況に寄り添い、柔軟に対応できるカウンセラーになろうと
心に決めたのです。
私の想い〜カウンセリングで優しさが循環する世界へ〜

日本は欧米に比べ、メンタルケアの意識が遅れていると感じます。
もともと同調圧力の強い国民性もあり、
生きづらさを抱えながらも限界まで我慢し、心を病んでしまう人が少なくありません。
私自身、娘がまだ小さかった頃に周囲の大人の冷たさを感じ、閉塞感で孤独を抱えていました。
そのとき「一人ひとりがもっと心豊かで、優しい世の中になってほしい」と強く思ったのです。
カウンセリングを受けた人が、
自分らしく彩り豊かな人生を送り、周りの人にも優しくなっていく——
そんな優しさの輪が広がり、循環する世界を作ることがわたしのビジョンです。
心理カウンセリング『心の雨の相談室』では、
- アダルトチルドレンで生きづらさを感じている方
- 親やパートナーとの関係に悩んでいる方
- 愛着障害で苦しんでいる方
を対象にカウンセリングを行っています。
まずはじっくりお話をうかがい、
ワークを取り入れながら、あなたに合ったカウンセリング方法をご提案します。
原因のわからない生きづらさから解放されるだけでなく、
ブレない自分軸を手に入れ、彩り豊かな人生をつくるための第一歩を一緒に踏み出しましょう。