プロフィール

はじめまして。

ブレない自分軸を手に入れ、彩り豊かな人生をつくる『心の雨の相談室』
セラピストの雨音(あまね)きよです

私はおもに、

  • アダルトチルドレン
  • パートナーとの関係
  • 親子関係
  • 毒親育ち
  • 愛着障害

などで、悩みや生きづらさを抱えるかたの心理カウンセリングをご提供しています。

幼少期から約40年もの間、わたしは 「そのままの自分には価値がない」 と思い込み、
低い自己肯定感、欠乏感、孤独感を抱えながら生きてきました。

否定と過干渉の中で育った、典型的なアダルトチルドレンだったからです。

結婚後は「自分さえ我慢すればうまくいく」 という自己犠牲が当たり前になり、
やがてカサンドラ症候群に。


閉塞感から娘に強く当たってしまうこともあり、ついに
「この生きづらさから解放されたい!」 と思うようになりました。

そこから心理学・量子力学・脳科学・自己啓発など、あらゆる分野の学びをスタート。

同時にカウンセリングを受けながら、
自分の気持ちを深掘りするスキルを身につけていきました。

そしてようやく、生きづらさの正体は、
自分の中に刷り込まれた価値観や思考のクセだったと気づいたのです。

不要になった価値観を少しずつ手放し、本当の自分と向き合い続けたことで、
心が軽くなっていきました。

今では「本当の自分を大切にしながら生きると、取り巻く世界も変わっていく」
ということを、身をもって実感しています。

「もっと早く気づいていれば……」

そう思うこともありますが、これまでの経験は同じように生きづらさを抱える誰かの助けになると信じ、カウンセラーとして活動しています。

カウンセリングを受けた人が心を軽くし、優しい気持ちになり、
さらにその優しさが周りへと広がっていく——

そんな 「優しさが循環する世の中」 をつくることが、私のビジョンです。

わたしがどのように原因不明の生きづらさを克服したのか、さらに詳しく書きました。
ご覧になりたい方は、このまま読み進めてくださいね。

さらに詳しいプロフィール

わたしは弟と2人きょうだいの長女として生まれました。

母は優しい人でしたが、
父には100%逆らえず、わたしに対しては
否定的な言葉が多い人でした。

父は今でいうモラハラ気質。
わたしが幼い頃から、ことあるごとにイライラして怒っていた記憶があります。

大人から否定され人間不信、孤独と劣等感だらけの幼少期

幼い頃から自分の意見を言えず、いつも人の顔色をうかがっていました

両親はどちらも子どもの話を聞かないタイプです。

わたしが何かを伝えようとしても受け止めてもらえた記憶がありません。

もちろんほめられたこともほとんどなく「わたしはダメな子なんだ」
と思いながら過ごしていました。

長年フラッシュバックした辛い記憶

そんな中、父とのやりとりで今でも鮮明に覚えている記憶があります。

わたしがまだ4歳くらいのとき、父が運転する自転車の後ろに乗せられていました。
すると父が、危険な速度でジグザグ運転をはじめたのです。

振り落とされそうになりながら、
「やめて」と必死に訴えましたが、父は聞く耳を持ちません。

案の定、振り落とされて口や手足にケガをしたわたしは、大声で泣きました。

そんなわたしを見た父は、謝るどころか
「みっともないから泣くな」と言い放ったのです。

父のいいなりだった母は、わたしのケガに気づいても守ってはくれませんでした。

「わたしには味方がいない、自分は誰からも愛されないんだ」

この出来事は、そう強く思うようになったきっかけです。

当時、父は酔っ払ってふざけたつもりだったのかもしれません。

ですがこの記憶は、その後も何度もフラッシュバックし、わたしを苦しめました。

表情が乏しく笑えなかった幼稚園での記憶

さらにわたしは理解が遅かったようで、
幼稚園でも他の子と比べられては叱られる毎日でした。

ある日、音楽会の練習で鍵盤ハーモニカを演奏していたときのことです。

指揮者は、いつもわたしを叱っていた先生でした。

先生は、わたしがたった1音だけ弾き間違えたのを見て、
すぐさま皆の見ている前で頬に平手打ちをしたのです。

わたしは楽器ごと床に飛ばされましたが、あまりのショックに涙すら出ませんでした。

その先生からは「表情が乏しく、笑わない子」と言われ、
通知表に「犬しか友達がいません」と書かれたことも…

それを見た親からは「しっかりしなさい!」とさらに責められます。

幼少期に立て続けに起きた理不尽な出来事に、当時は理由もわからず、
ただ感情が削られていきました

そんな環境で育ったので、小さな頃から大人を信用できず強い劣等感と孤独を抱えていました

人への不信感が募り、目も合わせられず、友達を作るのさえ怖くなっていったのです。

嫌われないか不安で、集団になじめなかった小学生時代

小学生の頃からは反抗期が始まり、
泣きながら親に歯向かうことが増えました。

しかしそのたびに父から叩かれたり、
押入れに閉じ込められたりします。

家庭では常に父の機嫌を損ねないよう、ピリピリとした空気が漂っていました

母は父のいいなりで、弟も支配的な父に逆らわず、黙っていることを選んでいたのです。

母自身も、父から「頭が悪い」などと人格否定のような言葉を浴びせられていました。

それでも何も言い返さない母の姿に、
私はいら立ちを感じずにはいられませんでした。

わたしには「安心できる居場所がどこにもない」という思いが、
いつもつきまとっていました。

両親からは「弟は素直でかわいいのに、なぜこんな子に育ったのか?」
とよく言われたのを覚えています。

この頃から、
「ありのままの自分では愛されない」
という無価値感がさらに強くなっていったようです。

学校でも集団に馴染めず、友達といても孤独を感じる日々。

嫌われるのが怖くて、
うわべだけ相手に合わせるクセがついてしまいました。

外見をからかわれ、人目が過剰に気になりだした中学生時代

中学生になると、不良グループから外見をからかわれるようになりました。

誰にも相談できず、ただ耐える毎日。

この頃から、人の目を過剰に気にするようになります。

家庭では相変わらず父が厳しく、
熱を出して学校を休むと「お前が弱い」と責められることも。

次第に「すべて自分のせいだ」と思い込むようになり、自責の念が強くなりました

同時に「父には何を言っても無駄だ」
と感じるようになり、あきらめの気持ちも強くなっていきます。

一方で、母は周囲の目を気にするあまり、
子どもの服装まで細かく指定する過干渉な側面がありました。

しかたなく母の好みの服を着て遊びに行くと、友達から馬鹿にされることもあり辛かったです。

わたしは家も学校も嫌いで、逃げ場がないと感じるようになっていきます。

親の方針で進学校に進むも、完璧主義で自分が嫌いになる

親の方針で、勉強も運動もできなければ怒られました。

ただ「親を見返したい、誰かに認められたい」—— それだけの理由で努力し、
進学校に入学します。

この頃から完璧主義が強くなり、自分だけでなく人にも厳しい嫌な自分になっていきました。

高校では部活のキャプテンを務めましたが、部員や後輩にも厳しくなり、空回りばかり。

ここでも孤独を感じることが多く、辛い日々でした。

受験期に入ってからは、寝る間も惜しんで勉強していました。

しかし、母の監視が厳しく、少し休憩するだけで即座に責められたのです。

そんなある日、
「親戚はみんないい大学に進学しているのに、うちだけ落ちたら恥ずかしい」
と言われ、「結局、私よりも世間体が大事なんだ」と深く傷ついたのを覚えています。

自己犠牲と依存心からパワハラや恋愛依存に悩んだ20代

高校卒業後は、家から離れたい一心で地方の大学に進学。

やっと自由になれたと思ったものの、
恋人に強く依存するようになりました。

相手への束縛が激しく、関係は長続きしませんでした。

別れた後は自暴自棄になり、次々と相手を変えては交際。

常に彼氏がいないと落ち着かず、いわゆる恋愛依存だったと思います。

たとえ雑に扱われても相手に執着し、自分を大切にできませんでした。

物への執着も激しく、
同じようなものを何個も買うなど、欠乏感に振り回されていました。

社会人になると「このくらいは我慢しなきゃ」自己犠牲が強く働き、
なぜか毎回パワハラ上司のもとに配属。

上司は、思うように仕事が進まなければあたり構わず怒鳴り散らすので、
怒らせないように気を遣いストレスで胃が痛くなる毎日でした。

その影響もあってか、浪費癖が悪化し、買い物が止まらなくなりました。

この頃から、わたしが趣味などで楽しそうにしていると、母はよく
「いつまでもチャラチャラして」
などと嫉妬のような言葉を投げかけるようになりました。

そんな母への不満を親友に打ち明けたとき、
「親には感謝しなければいけない」
と諭され、自分を責める気持ちと悲しさで心が大きくかき乱されました

原因のわからない生きづらさを抱えたまま、
自分の性格や考え方が悪いのだ
と思い込み、自己否定の気持ちがさらに強くなっていったのです。

夫の顔色をうかがい自己犠牲が加速!カサンドラ症候群に

結婚してからは、
夫が私の話を無視するようになり、ささいなことで不機嫌になることが増えました。

理由もわからず、私はいつの間にか
夫の顔色をうかがう日々を送るようになっていたのです。

夫は仕事が忙しく、
ほとんど家にいませんでした。

出産後も、子育ても家事もすべて私ひとり。

それでも
「忙しい夫に負担をかけてはいけない」と
助けを求められず、孤独と自己犠牲が深まっていきました

やがて
「どうせ誰に相談してもムダ」
「この気持ちは誰にも理解してもらえない」
と感じるようになり、気づけばカサンドラ症候群のような状態に。

悩みを抱え込む日々が続いていました。

「私と同じ思いをさせない」はずの娘が…負の連鎖に絶望

「私さえ我慢すれば、家庭はうまくいく」
と思い込み、10年以上も”良い母、良い妻”を演じ続けていました。

それなのに、夫への不満を娘にこぼし、
彼女に強く当たってしまうこともありました。

そんな自分を責め、自己嫌悪におちいる日々に、時には絶望感すら覚えることも…

そんなある日、ふと気づいたのです。

私と同じ思いをさせたくない」
と育てたはずの娘が、私の幼少期のように親の機嫌をうかがうようになっていることに。

その瞬間、がく然としました。

「このままではいけない!」
そう強く思い、娘のためにも“自分の人生を生き、負の連鎖を断ち切る”ことを決意しました。

「生きづらさを終わらせたい」自分の心と向き合い始める

「この生きづらさは、さすがに何かがおかしい」
そう思い、心理学・量子力学・脳科学・自己啓発など、あらゆる分野の学びをスタート。

カウンセリングもいくつか受けましたが、
話を聞いてもらうだけでは根本的な解決にはなりませんでした

そこで、自分で学びを進めるうちに気づきます。

「問題を根本から解決するには、自分と向き合うしかない」 と。

そこから心を深掘りするスキルを学び、自分自身と本気で向き合いました。

幼少期に刷り込まれた価値観を手放し、感情がフラットに

学びとカウンセリングを重ねたことで、
「これまでの生きづらさは、幼少期に刷り込まれた価値観が原因だった」 と気づきます。

過去の経験を振り返ると、私は完全にアダルトチルドレンの特徴を持っていました

しかし、不要になった価値観を手放すことで、感情がフラットになり、
自分で自分を満たせるようになりました。

その結果「誰かや何かに依存しないと満たされない、愛されない」 という気持ちが、
ほぼなくなったのです。

自分で自分を満たせて、親やパートナーとの関係性が変化

自分の心が満たされると、
両親やパートナーとも自然と適切な距離を取れるようになりました。

以前は会うだけでしんどかった両親でしたが「自分の心の敷地を守る」
ことで感情に振り回されなくなり、気持ちが楽に。

同時に、親の生い立ちや行動の背景にも理解が及ぶようになり、
ネガティブな感情が少しずつ和らいでいきました

夫にも感謝の気持ちを伝えながら本音を打ち明けられて、関係が少しずつ変わり始めました。

今は娘の親として良好な関係を保ちつつ、
お互いの生活を大切にしながら離れて暮らしています。

※決して別居や離婚を推奨しているわけではなく、それぞれに合った
最適な向き合い方があるはずです。

不安定だった娘とも向き合えて、絆がさらに深まる

私が変わり始めた頃、娘との関係にも変化が現れました。

一時期、娘はメンタルを崩し、
精神科で適応障害と診断されました。

そんな中、これまで遠慮して言えなかった思いをぶつけてきたのです。

「今まで我慢して、本音を言えなかった」
「ただ黙って話を聞いてほしかった」

以前の私なら、余裕がなく現実を受け止められなかったかもしれません。

でもそのとき、私は娘と正面から向き合い、
これまで辛い思いをさせたことを謝りました。

それから娘との絆はさらに深まり
娘のメンタルも安定していきました。

そして驚いたことに、娘も心理学に興味を持ちはじめ、
将来は心理カウンセラーになりたいと言うようになったのです。

自分が変われば周りも変わると、実感した出来事でした。

自分の経験が誰かの役に立つ」カウンセラーとして起業

もしカウンセリングを受けていなかったら、私は今も理由のわからない生きづらさや孤独を抱え、本当の気持ちを押し殺して生きていたと思います。

「もっと早く受けていればよかった」——そう心から感じています。

最初は自分のために学び始めたカウンセリングでした。

けれども、学びを深めていくうちに「これまでの経験が、きっと誰かの役に立つ」
と思うようになり、カウンセラーとして起業を決意。

クライアントとのカウンセリングを重ねる中で、
「人それぞれ、今いるステージが違う」ことに気づきます。

そこでさらに幅広いアプローチを学び、
クライアント一人ひとりの状況に寄り添った柔軟なカウンセリングを提供しよう
心に決めたのです。

私の想い〜カウンセリングで優しさが循環する世界へ

日本は欧米に比べ、メンタルケアの意識が遅れていると感じます。

もともと同調圧力の強い国民性もあり、
生きづらさを抱えながらも限界まで我慢し、心を病んでしまう人が少なくありません。

私自身、娘がまだ小さかった頃に周囲の大人の冷たさを感じたことがありました。

そのとき「一人ひとりがもっと心豊かで、優しい世の中になってほしい」と強く思ったのです。

カウンセリングを受けた人が、
自分らしく彩り豊かな人生を送り、周りの人にも優しくなっていく——
そんな優しさの輪が広がり、循環する世界を思い描いています

心理カウンセリング『心の雨の相談室』では、

  • アダルトチルドレンで生きづらさを感じている方
  • 親やパートナーとの関係に悩んでいる方
  • 愛着障害で苦しんでいる方

を対象にカウンセリングを行っています。

まずはじっくりお話をうかがい、
ワークを取り入れながら、あなたに合ったカウンセリング方法をご提案します。

原因のわからない生きづらさから解放されるだけでなく、
ブレない自分軸を手に入れ、彩り豊かな人生をつくるための第一歩を一緒に踏み出しましょう