はじめまして。
心理カウンセリング『心の雨の相談室』カウンセラー、雨音(あまね)きよです。
心理学、脳科学、認知行動療法をベースにしたカウンセリング法、心理ワークなどを学び、現在は子育て支援やシングルマザー支援の現場でカウンセリングを担当。
新人カウンセラーの育成サポートにも携わっています。

私自身もかつては、完璧主義で自己肯定感が低く、孤独と不安を抱えていました。
親から否定され続け、アダルトチルドレンの特徴を持っており、若い頃は恋愛依存にも悩まされました。
そして結婚後はカサンドラ症候群にも悩まされます。
やがて娘が適応障害と診断されて不登校に。
「自分が毒親のような言動をしていた」と気づき、ようやくこの連鎖を断ち切ろうと決意しました。
私自身も心の学びやカウンセリングの実践を通して、本当の意味で「自分を大切にする感覚」を取り戻した今、同じように苦しむ方のサポートをしています。
カウンセリングを受けた人が心を軽くし、優しい気持ちになり、
さらにその優しさが周りへと広がっていく——
そんな 「優しさが循環する世の中」 をつくることが、私のビジョンです。
あなたも生きづらさから解放され、安心と自信に満ちた幸せな人生を歩みませんか?
わたしがどのように40年間の生きづらさのループから抜け出したのか、さらに詳しく書きました。
ご覧になりたい方は、このまま読み進めてくださいね。
【さらに詳しいプロフィール】
どこにも居場所がなかった幼少期

私は、弟と二人きょうだいの長女として生まれました。
父は今でいうモラハラ気質で、怒りの地雷がどこにあるのかわからない人。母はいつでも父のいいなりで、私の気持ちを受け止めてくれることはほぼありませんでした。
家の中はいつも緊張感に包まれ、家族全員が父の顔色をうかがって生活していました。
幼い頃の私は、自分の意見を言う前に相手の反応を先回りして考える子でした。
父からは「お前はダメだ」「弱い」「頭が悪い」と人格を否定するような言葉を浴びせられ、褒められた記憶はほとんどありません。
今でも忘れられない出来事があります。
父が酔ってふざけて自転車を危険な角度で運転し、後ろに乗っていた私を振り落としたこと。
わたしが何度も「怖いからやめて!」と伝えたにもかかわらずです。
ケガをした私に父は謝るどころか、「泣くな、恥ずかしい」と責めました。母も私をかばうことはありませんでした。
あのとき強く心に残ったのは、痛みよりも「私には味方がいない」という絶望にも似た深い孤独でした。
幼稚園もまた、安心できる場所ではありませんでした。
できない子が保育士から叩かれたり、他の子と比べられて叱られたりすることが当たり前の環境で、通知表には「笑わない子」と書かれていました。
それでも両親は私を守るどころか、「しっかりしろ」と責めるばかり。
家にも幼稚園にも安心できる居場所はなく、
「私は受け入れてもらえない」
「私は愛されない存在なんだ」
と感じながら育っていきました。
今振り返ると、この頃から、人の顔色をうかがい、自分より相手を優先し、我慢することが当たり前になっていたのだと思います。
生きづらさが深まっていった小・中学生時代

小学生になると、「この家はおかしい」という違和感を少しずつ覚えるようになり、親に反抗することも増えました。
泣きながら自分の気持ちを訴えても、「誰のおかげで生活できてると思ってんねん!」と叩かれたり、押し入れに閉じ込められたりするだけ。
母は父に逆らわず、弟も何も言いませんでした。
誰も私の味方にはなってくれない。
そんな思いが、さらに強くなっていきました。
両親からは「弟は素直なのに、なぜこんな子に育ったのか」と言われ、「私だけは愛されない、ダメな子」という思い込みも深まっていきました。
だから私は、嫌われないように生きるしかありませんでした。
学校でも集団になじめず、友達と一緒にいても孤独。
嫌われることが怖くて、自分の気持ちを押し殺し、相手に合わせることが当たり前になっていきました。

中学生になると、不良グループから毎日のように容姿をからかわれるようになり、強い容姿コンプレックスを抱えるようになります。
周りの話し声が、すべて自分への悪口のように聞こえるほど、人の目を気にするようになりました。
家庭でも、熱を出して学校を休んだだけで「お前が弱いからだ」と責められます。
母は母で、私の気持ちよりも世間体や人からどう見られるかを過剰に気にして、服装にまで口を出しました。
家でも学校でも安心できる場所はなく、
「全部自分が悪い」
「親には何を言っても無駄」
「我慢するしかない」
そんな諦めにも似た考えが、少しずつ私の当たり前になっていったのです。
認められたくて頑張り続けた高校・大学時代
高校生になると、「親を見返したい」「誰かに認められたい」という思いだけを支えに努力するようになりました。
勉強も部活動も全力で取り組み、進学校へ進学。部活ではキャプテンも務めました。
でも、頑張れば頑張るほど完璧主義になり、自分にも人にも厳しくなっていきました。
周りから認められたかったはずなのに、心は満たされず、孤独は深まるばかりでした。
受験期には寝る間も惜しんで勉強しましたが、母の監視はさらに厳しくなり、少し休憩するだけでも責められる毎日。
そして今でも忘れられない言葉があります。
「親戚はみんないい大学に進学しているのに、うちだけ落ちたら恥ずかしい」
その言葉を聞いたとき、「やっぱり私よりも世間体のほうが大切なんだ」と深く傷つきました。
高校卒業後は、家を離れたい一心で地方の大学へ進学しました。
ようやく自由になれると思っていましたが、生きづらさは変わりませんでした。
今度は恋愛に居場所を求め、一人になることが怖くて恋人に依存するようになります。

相手に合わせ、雑に扱われても離れられない。
「私なんて、好きでいてもらえるだけでありがたい。」
そんな自己価値の低さに縛られ、恋愛依存や買い物依存によって心の空白を埋めようとしていました。
まるで自分の身体に、ぽっかり空洞があるような感覚が常にあったからです。
今振り返ると、私はずっと「誰かに認められることでしか、自分の価値を感じられない」ようになっていました。
我慢することが当たり前だった社会人時代

社会人になっても、幼い頃に身についた生き方は変わりませんでした。
「このくらいは我慢しなきゃ。」
そう思うことが当たり前で、なぜか配属される先はいつもパワハラ気質の上司ばかり。
怒らせないように先回りして仕事を抱え込み、「歯向かうだけ無駄」という思考パターンから、自分一人で何とかしようとしていました。
その結果、常に上司の機嫌に振り回され、ストレスで胃が痛くなる日々。
それでも、「頑張ればいつか認められる」「私が我慢すればうまくいく」と本気で信じていました。
恋愛依存やパワハラに苦しむ中、私は「結婚すれば、ようやく普通の幸せが手に入るかもしれない」と希望を抱き、結婚しました。
でも、生きづらさは終わりませんでした。
結婚後も我慢は続きカサンドラ症候群に

結婚後、夫はほとんど家におらず、子育ても家事も一人で抱える毎日。
夫は話し合いが苦手で、不機嫌になったり、大事な話の途中で寝てしまうことも少なくありませんでした。
私はまた、「忙しい夫に負担をかけてはいけない」と自分に言い聞かせ、本音を飲み込みながら一人で頑張り続けました。
「何か悪いことを言ったのかな。」
「怒らせてしまったのかな。」
そうやって夫の顔色をうかがう姿は、子どもの頃に父の機嫌を気にしていた頃と何も変わっていませんでした。
家事も育児も一人で抱え込み、「なんでいつも私ばっかり…」と思いながらも、助けを求めることができない。
そして気づけば、「やっぱり私には味方がいない」という感覚がよみがえり、私はカサンドラ症候群のような状態へと追い込まれていきました。
振り返ると、職場でも家庭でも繰り返していたのは同じパターンでした。
「私が我慢すればいい。」
その無意識の抱え込みが、生きづらさを何度も繰り返させていたのです。
「まさか自分が毒親に?」娘が教えてくれた本当の転機

そんな私が変わるきっかけになったのは、娘でした。
私は10年以上、「良い母」「良い妻」でいようと頑張り続けていました。
「私が我慢すれば家庭はうまくいく。」そう信じていたのです。
でも現実は違いました。
夫への不満を娘にこぼし、余裕がなくなると必要以上に強く当たってしまう。
そんな自分を責めては自己嫌悪に陥る日々でした。
そしてある日、はっとしたのです。
「私と同じ思いをさせたくない」と願って育ててきた娘が、幼い頃の私と同じように、親の顔色をうかがうようになっていたことに。
親を反面教師にしてきたはずなのに、気づけば私自身が、なりたくないと思っていた親のようになっていました。
その事実に気づいたとき、大きなショックを受けました。
「このままでは、負の連鎖を繰り返してしまう」
「娘のためにも、まず私が変わらなければ」
そう決意したことが、私の人生の大きな転機でした。
そこから心理学や認知行動療法、脳科学などを学び、カウンセリングを受けながら自分自身と本気で向き合い始めました。
学びを深める中で気づいたのは、生きづらさの原因は性格ではなく、幼い頃に身についた価値観だったということです。
「私が我慢すればいい」
「頑張れば認められる」
「ありのままの私は愛されない」
そんな価値観を一つずつ見つめ直し、手放していくことで、感情に振り回されることが少なくなり、自分で自分を満たせる感覚が育っていきました。
そして初めて、「誰かに認めてもらわなければ幸せになれない」という生き方から、少しずつ抜け出せるようになったのです。
自分が変わると、周りとの関係も少しずつ変わっていった

自分自身を満たせるようになると、不思議なくらい人との関わり方が変わっていきました。
以前は会うだけで苦しかった両親とも、「自分と相手は別の人間」という境界線を意識できるようになり、感情に振り回されることがほぼなくなりました。
親の生い立ちや行動の背景にも目を向けられるようになり、長年抱えていた怒りや悲しみも少しずつ和らいでいきました。
夫にも、自分の気持ちを我慢し続けるのではなく、感謝を伝えながら本音で話せるようになり、関係は少しずつ変化していきました。
現在は、娘の親として今までで一番と言っていいほど良好な関係を保ちながら、お互いの生活を尊重し、離れて暮らしています。
これは別居や離婚を勧めたいという意味ではありません。
人それぞれに、その人に合った向き合い方があると考えています。
そして、一番大きく変わったのは娘との関係でした。

娘が適応障害と診断され、不登校になったとき、娘は初めて本音を話してくれました。
「今まで我慢して、本音を言えなかった。」
「ただ黙って話を聞いてほしかった。」
以前の私なら、自分を守ることに精一杯で、その言葉を受け止められなかったかもしれません。
でも、そのときの私は、言い訳をせず、娘の気持ちを受け止め、心から謝ることができました。
そこから少しずつ親子の信頼関係は回復し、娘の心も安定していきました。
今では娘自身も心理学に興味を持ち、「将来は心理カウンセラーになりたい」と話してくれています。
この経験を通して、私は「自分が変わることで、周りとの関係も変わっていく」ということを身をもって実感しました。
この経験を、誰かの力に変えたいと思いカウンセラーへ

もしカウンセリングを受けていなかったら、私は今も、理由のわからない生きづらさや孤独を抱えたまま、本当の気持ちを押し殺して生きていたと思います。
だからこそ、心から感じています。
「もっと早く、自分と向き合う方法を知りたかった」と。
最初は、自分自身を楽にするために始めた学びでした。
けれど、心理学や認知行動療法、脳科学などを学び、自分自身と向き合い続ける中で、少しずつ思いが変わっていきました。
「これまでの経験が、きっと誰かの役に立つ」
そう感じるようになり、私はカウンセラーとして起業することを決意しました。
現在は、子育て支援やシングルマザー支援の協会でカウンセラーとして活動しながら、新人カウンセラーの育成サポートにも携わっています。
並行して、個人で開業した「心の雨の相談室」では、おもに、
・アダルトチルドレンとして生きづらさを感じている方
・親やパートナーとの関係に悩んでいる方
・恋愛依存や愛着の課題で苦しんでいる方
・頑張っているのに報われない生き方を繰り返している方
に向けて、カウンセリングを行っています。
私が大切にしているのは、一つの答えや方法を押しつけることではありません。
人はそれぞれ、立っている場所も、抱えている課題も、必要なタイミングも違います。
だからこそ、まずはじっくりお話をうかがい、その人の「今」に合わせて、必要に応じてワークも取り入れながら、一緒に心を整理していきます。
何度も同じところでつまずいてしまう。
人の顔色ばかり気にして、自分の気持ちがわからない。
「なんで私ばっかり」と思いながらも、我慢することをやめられない。
そんな生きづらさのループは、性格のせいでも、努力不足のせいでもありません。
幼い頃に身についた価値観や思い込みに気づき、少しずつ手放していくことで、人は何歳からでも変われます。
カウンセリングを受けた人が、自信と安心を取り戻し、その優しさが家族へ、子どもへ、周りの人へと広がっていく。
そんな「優しさが循環する世界」をつくることが、私のビジョンです。
もし今、あなたが生きづらさの渦中にいるなら、一人で抱え込まなくても大丈夫です。
ずっと一人で頑張ってきたあなたが、不安に振り回されず本当の自分に戻れるよう、一緒に一歩を踏み出しましょう。

